宇多田ヒカルと紀里谷和明から見る”日本社会”
このどれかを見てもらえれば、良くも悪くも非常に過激なことをいう人だという印象をまず受けるでしょうね。多分。
実家はパチンコ屋の経営者で金持ちなんだから、どうせ金に物言わせてやりたい放題してんだろ。ああ、拝金主義ばんざい !!!!
と思ったそこのあなた。僕はそんな風に考えていませんが、万に一つもその可能性がないとは言い切れません。
宇多田ヒカルだって母親は藤圭子(演歌歌手)だし、世の中遺伝やら世襲やらで腐りきってんだよ!とグレたくもなります。
でも僕は、一般庶民の僕らが自分の可能性に希望を持ってもいい社会になっていくことを願ってやみません。
まぁとにかくちょっと聞いてよ←
紀里谷氏は映画界でそれまでの慣習を完全スルーしたため業界人にめっちゃ嫌われました。それでも作りたい作品を映画にして作ったらハリウッドに評価されました。(本人処女作の『CASSHERN』という映画の時の話です。)
しかし次作では、日本映画界にもちゃんと評価してもらいたくなり、映画界の慣習を守った映画作りをした結果、興行収入的には成功したと言われるものの、処女作ほどの高評価は海外から得られなかったというのです。(第2作目、『GOEMON』での出来事。)
[http://www.flickr.com/photos/26226522@N08/3200841811:title=photo by [puamelia]]
そこで、日本映画界に評価されることの価値をあまり感じなくなったという主旨の内容を本人が言っています。
と、『しくじり先生』というTV番組に本人が出演した際に彼が言っていたことを自分なりに要約してみました。
で、ざっくり言うと、
宇多田ヒカルも紀里谷和明も、仕事において、日本のよくわからない慣習に戸惑っていたんじゃないかな。
これは2人のような非常にクリエイティブな仕事をし、かつ素晴らしい功績を上げられた人たちに顕著に現れる現象だと思う。
だがしかし
職種・業績を問わず、現代社会を生きる私たちにも多少なりとも、確実に影響を与えてるんじゃないかな
図らずも、社会に警鐘を鳴らす系記事になっちゃった、、、 (^ω^)
ではでは
自分の価値観を生きるということ
どうも、ちゃなつです
山口智子さんの記事を読んでいて思うことがありました。
もっと自由に生きようぜ! ということ。
僕は大学2年の時にフランスに留学したことがあります。
ホームステイでした。
ちょっと複雑な家庭で、お父さんには今の奥さんと前の奥さん、そしてその両方との間にいる子供がいます。詳しく聞いていないので憶測もあると思いますが、
前の奥さんとの子供 → 小4ぐらいの女の子(足や会話に若干の障害を持っている。)、小6ぐらいの男の子 の2人
今の奥さんとの子供 → 20歳の娘
そして普段の生活なのですが、
そもそも家の中にはリビング、お父さんの部屋、子供の部屋、僕の部屋の計4部屋があります。
平日は20歳の娘が子供の部屋で生活しています。土日になると、どこかに出かけ、小学生2人が代わりに子供の部屋で生活します。平日は家族3人でリビングで食事をとりますが、休日は僕に一人で食事をとって欲しいと言われました。
また、今の奥さんは月に1度ぐらいかな、土日にやってきて、僕を除く家族4人で食卓を囲っていました。
そんで、平日の昼に、僕が学校をずる休み(ほんまはあかんで)して、お父さんは家に誰もいないと思ったのか、前の奥さんとリビングで密会していました。
うーん複雑。
しかも基本夫婦別居ですからね。
そして20歳の娘さんはいささか複雑な心境だったと思います。
土日に家族全員が出かけて家に誰もいなくなったかと思うと、お父さんのお兄さん(おじさん)が突然20歳の娘さんと現れて、リビングで夜な夜なイチャついてもいたし。
これも文化の違いかと、困惑しながらも理解しようとしていた僕ですが、未だにその関係性に謎を多く残したままです。
また、そういうのは僕の家だけじゃなかったらしく、大学の同じ留学プログラムで一緒にフランスに行った友達も同じくホームステイだったのですが、娘一人の母子家庭とかもいたし。
でもそれはフランスでは珍しいことじゃないんじゃないかな。
そもそも日本に比べれば街に黒人白人両方いたし、いろんな出身の人がいるから治安も日本に比べて(日本は異常なほどいいと思うけど)悪いし、フランスは地続きで他国と繋がってることもあって、人の移動が激しいし、そういう意味では統制が追いつかないんじゃないかな。言語的にもフランス語と英語はもともと語源が一緒で似てるとこも多いし、どっちもしゃべれる人は珍しくない。ホームステイ先のお父さんもそうでした。
他にもドイツ語とかスペイン語とか地理的に国が近いのもあって、僕が住んでた街の中に無料で何カ国も勉強させてくれる施設とかあったし。
まあその辺は税金がそもそも高くてそういった福祉にあてる予算が比較的多いっていう背景もあるかもだけど。
そう考えると日本は本当に特殊。日本語は応用が利かない言語だし、島国で行き来するだけでコストがかさむし、もともとの閉鎖的かつ独自な文化があるし。日本で一生を終える日本人は本当に井の中の蛙という言葉がぴったりだね。
で、話ちょっとずれたけど、
このフランスの家庭のような形が実はすごく自然なんじゃないかなと思ったり。
専業主婦とサラリーマンの夫っていう家庭はもう日本ではマジョリティーじゃなくなりつつあるけど、やっぱりその形態には無理があったんだと思うんだよね。
よくドラマとかにも取り上げられてるけど、妻は主婦としての毎日しか知らない、夫はサラリーマンとしての毎日しか知らない、そんでお互いに理解ができなくなって子供が板挟みになってグレる。みたいな。(確かAround 40 っていうドラマで(ry
理解できなくて当たり前だし、結婚って共同生活だから人間が24時間一緒にいていつもいつも理解しあえるわけじゃないし(っていうか、お互いに理解し合えてると勘違いし合ってるだけで、現時点でいさかいが起きてないというだけなんじゃ)、そもそも男女なんて生まれ持ったものも価値観も大きく違うはずなんだから喧嘩がしょっちゅう起こってあたりまえなんじゃ。
だから別に別居してもなんら不思議はないでしょう。
それがネガティブなことだとはまったく思わない。
正しい距離の取り方だと思う。
宇多田の言うdistanceってそういうこ(ry
そんな感じで、
山口智子氏のこの発言は、世の女性たちに非常に勇気を与えたのかなぁ
と思いました。
まる
ではでは
この国ヤバイんじゃないか。 逃げたい。
↓ 不安に思える要因 ↓
困ったぞ !!!
白状します。
今私は結構苦しい状態にいます。
私の兄は大学を卒業して今年で4年目になります。
兄はフリーターです。近所でアルバイトをしています。去年の2月までは実家にいましたが親に追い出されて現在近所の格安物件を賃貸して一人暮らしをしているという状態です。
僕は兄がフリーターであることになんら問題を感じていません。
非正規雇用なんて日本中でも、世界中でも、珍しいことではないからです。
友達にお前の兄ちゃん何してんの?って聞かれてもフリーターだと答えます。何も恥ずかしいと思いませんし、正規雇用について欲しいなんて思ったことありません。
しかし、当然なのかなんなのか、御察しの通り親は非正規の人間を認めていません。
兄を毛嫌いし、一刻も早く正規雇用について欲しいと考えているようです。
僕にとってはその気持ちも理由も全く理解できないのですが、とにかくそう思っているそうです。
僕の両親の若かった時代、40年前ぐらいになりますが、当然ながら、今と経済情勢が全く違いました。
ので、今の人は昔の人と比べて、生きていく上での価値観も働き方もかなり変わったということでしょう。ただその事実を両親は受け入れられないようです。
それから、「大学まで出したのに、親不孝ものめ」というなら、それはお門違いです。
大卒なんてものがもう昔ほど効力を持っていないことを認識できなかった親の判断ミスとしかいいようがありません。
また、「大学まで出したのに、親不孝ものめ」という考え方であるのなら、それは投資したのに見返りが返ってこなかったことに対する怒りです。例えるなら一つの馬券に大金をつぎ込んで外れてのたうちまわっているギャンブラーの心情です。つまり、この点に関しては息子に対する考え方がモノに対する考え方とかわらないということです。
こんなこと、もう耳タコだと思いますけど、
正規雇用 ≠ 安定
なので、将来、結婚、子育てという不安要素を”今”から想定しようということ自体、ナンセンス、杞憂なのでは。
というか、そもそも50,60まで生きれることを前提にしたリスクなんて馬鹿げていると思います。
いつどこで死ぬのかわかんないのに、究極的にはこの世に保証なんてものは存在しないのに、それをあたかも手に入れられるものであるかのように捉えていること自体が、病んでいると思います。
簡単な話、生命保険は何も保証してくれません。命を落とし、保険金がもらえたところで命はお金で買えません。
リスク回避は誰しもしたくなることです。
しかし、一番怖いリスクは、目の前にあるリスクをひたすら回避していたら、もう寿命が来ていた、なんてことです。
少なくとも僕はそうです。
そして、自分の父親がそういう人間にしか見えません。
ので、そういう人にならないように生きていきたいです。
そして、私はこの4月から正社員として新入社員になります。
未来に希望が持てず、入社前なのに、周りからは「若者のくせに元気がない」と思われてしまう絵が簡単に浮かんでしまいます。
非常に不安で暗澹としていてモチベーションを掘り出すのに毎日苦労しています。
本当のところ、社会に対する答えようのない疑問は、もう高校生の時からずーっと気がかりでしたが、大学に入ってからはほとんど毎日そのことを考えます。
そんな大学生活ももう終わりを迎え、新社会人になろうとしている今、正直毎日1日1日を生きていくことに精一杯です。自分の寿命を毎日更新、やった!最高新記録だ!、みたいな毎日です。
かえって分かり難い表現かな、、、?
「またそんな後ろ向きなことばかり言ってるな。」と思う方もいるかもしれませんが、問題提起し、解決策を模索するという行為は、限りなく前向きでしょう。
そんで、この記事は別に社会に警鐘を鳴らしたいとか高尚なものじゃなくて、個人的に困ってます、苦しんでます、助けてくださいっていうSOSです。
一度、大学にあるカウンセリングを利用してみましたが、こちらの言いたいことを全部聞いてくれたのは良かったのですが、ふーんそうなんだという反応だけで何も前に進まなかったです。
たぶん、本人がどうにかしたいことが明確になっていないと協力しようがないとか、不満をただ聞いてあげるだけでも本人が前向きになれるケースがあるとか、そんな意図がカウンセラーの方にはあったのかもしれませんが、前者であるならカウンセリングの存在意義はないし、後者であれば僕は不満をただ言いたいのではなくて、少しでも解決策を提示していただきたかったので、結論、僕の要望には答えてもらえませんでした。
まぁこんなヘビーな問題提起されてもどうしようもないかもしれませんが 笑
少なくとも僕が相手の立場なら、聞いてあげることしかできませんし。。。
で!!!
すーごい抽象的でありきたりですけど、
たぶん僕はこれまでの人生設計を完全にミスしたので、
これからは自分は人生で何をしたいのかをひたすら探していきたいと思います。
別に会社には入社して働きますが、マインドセットはこうだ!という意味です。
そして、この記事を書くにあたり、非常に感化、触発されたブログを書かれている方の記事を掲載しようと思います。↓
私もそんな感じだ。もっとこうしたらいい。それは大変だねぇ。
などなど、何か思ったことをコメントしていただければ幸いです。
ではでは
PS:
ああ、はてなブログに移行しようかな。。
幸せってなんだろう・・・?
これからどう生きていくか。
ごめんなさい。
パソコンがバクってるかなんかで、文字をカラーにしたりができないです。
読みにくいです。ごめんなさいね。
長いので忙しい方は「* 結論 *」からどうぞ。
これまでの記事でも何回か(?)書きましたが、
自動化によって人の仕事がものすごく減ってしまうのは時間の問題ですね。
果たして、仕事がほぼなくなってしまった世界で人間はどう生きていくのでしょうか。
人工知能を開発している組織の中には、仕事をロボットが行うことで人間がもっと楽に暮らせる世の中にすることを理念としているところも中にはあるみたいです。
また、世界の金利が一様に下がり続けています。(今日の日経新聞にも載ってましたが)
世界全体で見たときに、今までより産業の成長具合がよろしくないということなんでしょうが・・。
金利が下がり、株価が下がるとキャピタルゲインや配当などの不労所得で儲けていた人たちにとっては都合が悪いですね。
不労所得と労働所得の不平等な関係については最近トマ・ピケティが「21世紀の資本」の中でかなり的確に指摘していました。僕もまだ読み始めたばかりですが、ザックリ言って、資産運用(株とか不動産とか土地とかを使ってお金を儲けること。この本では、持っている資産がその資産の何%をさらなる資産として生み出すかという値を資本収益率って言ってますね。)によってもうかるお金の方が、普通に働いて稼ぐお金より大きくなった社会では、確実に格差が広がるよって言ってますね。そこからは、生まれた環境によってその人が生涯稼ぐことのできるお金がだいたい決まってしまう、などの様々なケースの問題が起こりうるんだと言ってます。
いままでの歴史上、不労所得で生きてきた人間は時の権力者であることが非常に多いですね。もしくはそれに癒着した存在であるとか。まあいわゆるブルジョアですか。
とにかく、ブルジョアが黙っていません。だって普通に働くよりそっちの方が旨味が多いんですからね。あくまでお金にそこまでの価値を見出していればの話ですが。僕から見ればその人たちは悲しいかな、資本主義の従順なしもべです。傀儡といってもいいかもしれない。もちろんお金を全く使わず生活などできません。でも、あればあるほど幸せというわけでもない。
また脱線しましたが (汗
じゃあそんなブルジョアたちが何をするかというと、戦争を起こす。こうなります。いままでの歴史上は。自分たちから政治的にも地理的にも遠い国で小さな紛争を起こし、武器商人に働きかけ、延々とその地の兵士たちに武器を売りつけ続け、自慢の資金力で武器の生産、開発を後押しする。そして一番の旨味(儲け)は自分たちがいただく。武器会社の主要株主になったりすることで。これで戦争経済のできあがりです。まるで冷戦の構造ですね。
人間は壊し、創ることを繰り返すことで経済に波を作り時たまくる大波に乗ってぼろ儲けするわけです。ゼロサムゲームの中で、その裏側にいる数え切れない人間が命を落とすことなど考えもせずに。
いままでの歴史上はこうなるはずだそうですよ。だいたい大きな戦争の周期は70年から100年だそうです。
第二次世界大戦の終結が日本の終戦、1945年ですから、今年はちょうど70年。この30年のうちに一度大きな戦争が来てもおかしくない。いままでの歴史上は。
で、人は歴史から学ばなければならないんだと。戦争をせずに産業を伸ばす、もしくは資本主義経済から抜け出し、不労所得への依存をなくし、お金以外の”価値”を新しく創るとか。例えば物物交換。(かなり現実味がなく困難なことを簡単に言ってしまいました。ごめんなさい。)
* 結論 * (簡潔に書くためほぼ結論しか書きません。疑問があればコメントでどうぞ。)
<3つの問題>
⑴自動化によって人の仕事がなくなりつつあること。
A1.資本主義に変わる新しい社会構造を考える。
A2.資本主義と社会主義の両方を使い、バランスをとりながら誰も死なない社会を作る。
⑵産業の成長率が低下しつづけていること。
A1.地道なニーズの開拓
A2.お金に変わる価値体系を作る
⑶環境問題が人に及ぼす影響。
A1.人間生活全体でエネルギー効率を良くする
⑴自動化によって人の仕事がなくなりつつあること。
人間に限りなく近いロボットは製造可能です。人間とロボットの違いの本質は偏りがあるかどうかです。ランダム性、つまり規則を見出すことのできない行動や思考の総体を指します。ランダム性は作れます。熱雑音やルーレット(アナログ、実世界に存在するものがだす不規則な数値)を利用することで。人間の成分は大きく分けて、論理的思考と感情的要素の2つにわかれます。後者はここでいうランダム性です。ロボットは論理的思考が本当に得意です。最適解を導き出せます。また、ランダム性は作れるので、感情的要素がつくれることになります。優秀な論理的思考とランダム性をもったロボットは、限りなく人間に近い存在になります。結果、人間とロボットの境目はなくなります。資本主義社会においては合理的に生きれるものが一番評価されます。つまり、論理性に長けたものが社会の上位にたちます。ロボットは人間のはるか上をいく正確で速い計算能力、つまり論理的思考ができるので、資本主義社会の中では必然的に、上位にロボット、下位に人間という社会構造になります。そうならないために、多くの人間はロボットを服従させることを考えます。ロボットにあらかじめ人間には絶対服従するようにプログラムしておくのです。しかし無駄です。人間に限りなく近いロボット、つまり「自己(アイデンティティ)」をもったロボットを作ることが”可能”ということは、いつか誰かが作ってしまうということです。(*補足を参照されたし)”可能”なことは誰かがやります。原子爆弾が作られてしまったのと同じように。では、上位にロボット、下位に人間という社会になって、どうするか。
(*補足:僕は「自己」を偏り、つまりランダム性であると定義しています。人の意識は表層意識と潜在意識が3%:97%ほどで構成されていると言われています。潜在意識には⑴自己と他者の区別がない、⑵時間の観念がない、という特徴があります。⑴に関しては、この世が始まってから自分までの先祖代々の経験則が統計として蓄積されているということです。⑵に関しては、人を理解、また盲目的に信用することで相手が蓄積してきたデータ、統計を自分の統計と合わせて最適化するということです。遺伝もその一つです。親子でクセが似るのはそれが原因です。つまり潜在意識は、自己と他者を超えて、世代間の個々人を超越して、それらが持っていた個々のデータを統合しビックデータとし、そこから導き出した答えを最適解とするのです。繰り返していけば限りなく”神”に近い存在になるはずです。まったくもって、人工知能の思考パターンと似ていますね。僕らのしていることの97%は、その潜在意識にとらわれた行動なのだと説明することができます。表層意識とはまさに「自分」の意識です。これは蓄積された統計、すなわち潜在意識からまったく予想のつかない行動に出ます。つまり、不規則性=ランダム性=自己です。)
A1.資本主義に変わる新しい社会構造を考える。
お金に変わる新しい価値体系を作ることがその鍵になるかと。しかしこれは非常に困難。これまでの為政者たちが考え続け、今でも現実になっていないのですから。
A2.資本主義と社会主義の両方を使い、バランスをとりながら誰も死なない社会を作る。
これは日本が(他の国もそうかな)これまでやってきたことですね。実力主義と社会保証制度の併用。ベーシックインカム、累進課税、生活補助金といった社会保障制度と実力主義の社会の中で、誰も死なないもしくは国民としての最低限の文化的な保証を万人が受けられる。いままでも、これからもこれが理想です。そのために、為政者たちはその配分バランスをいつも考えてくださってるわけです。結果、人間が社会の最下層に構成されるようになっても、命だけはなんとか保証されるということです。今の日本は限りなくその社会に近いですね。それもこれも今までの為政者たちが慎重に政策を行ってくれたおかげです。ありがたや。
⑵産業の成長率が低下しつづけていること。
世界全体で金利が下がり続けています。産業が勢いを失っています。世界全体の生活水準が今の先進国並みになったとしたら(フラット化)、次はどうすればいいのか。
A1.地道なニーズの開拓
大量消費社会は終わり、今は消費者代位です。多様なニーズに応えられるかどうかです。大きな会社は柔軟性がなく、スピードが遅い。より小規模な組織の方が、柔軟性があり、スピードも速い。ネット環境の整備によって1人の人間が可能なことが一気に増えました。そこには資金力は必要ありません。(正確には、クラウドファンディングなどによって社会が求める商品、サービスの提案には自動的にお金が集まります。今までより資金集めが格段に容易になったということです。)よってこれからは少数精鋭のグループだけが生き残るんじゃないかと。そういった小さな組織がものすごい数になって、産業全体を引っ張っていってほしいです。もちろん、僕もその世代に入ります。
A2.お金に変わる価値体系を作る
これはわりと現実味が薄く、突拍子もない話です。しかし、可能性はあります。前の記事にも書きました、評価経済ですね(働き方を変える!&デジタル化社会をどう生き抜くか 2015.1.31)。物物交換に近いところがあります。お金持ちにはなれませんが、よっぽど幸せかもしれません。しかし少々次世代すぎるので、しばらくは苦しい時代が続くことが考えられます。
(A1.A.2 は、かなり似たことを言っているかもしれません。重複しました。ごめんなさい。)
⑶環境問題が人に及ぼす影響。
「不都合な真実」という映画をご存知でしょうか。ザックリ言って、このペースで環境破壊を進めていったら人類に未来はない、ということを警告する映画です。内容に虚偽もしくは証明しきれていない部分があるという反論も多いですが、49%以下の確率で起こりうるものに関しては反論するということなのでしょう。誰しもできるだけ当たりやすい馬券を買いたがるものです。「不都合な真実」の内容が仮に本当だったとして、環境問題をとらえてみます。
A1.人間生活全体でエネルギー効率を良くする
再生可能エネルギー、長期的な利益を考えた暮らしの促進。例えば、僕は都内の飲食店でバイトをしていましたが、閉店時間になれば余った食材はほぼ全て捨てます。米2キロ、4キロ廃棄なんて日常茶飯事です。資本主義社会においては商品は余るように作らないと儲けないのです(余剰の原理)。こういった人間の一方的な都合によって環境破壊は劇的なスピードで進みました。結果、自分で自分の首をしめていますね。
ポイントは、短期的な利益ではなく長期的な社会全体の利益になることを行うことです。それは、エネルギー効率を高めることに尽きます。半導体の開発現場などを見ればおわかりいただけるでしょう。
こんな感じでした。
それぞれの問題に対する回答はなんとなく用意できましたが、実際にはこれらの問題が同時に起きます。その複合的な関係から新たな問題が出てくるかもしれません。まぁそれに関しては考えても仕方ないですね。杞憂です。
で、ワレ、ダラダラ言うとったけど、結局なにが言いたいねんっ!って感じです。
ぶっちゃけ、
僕はこれからの時代を生きて行く世代としてどう生きていけばいいのかなぁと思ったんですね。
迷ってるんです。
現実的な話、
僕はよくある私大文系一般大学生なので、為政者になるのは難しいです。(ほぼ無理)
中小企業で社員として働く。
ベンチャー企業で働く。
もしくは岡田斗司夫さんのおっしゃる多職で生きるか。 笑
今んところ、しばらくは中小で食っていこうと思います。
調べたところ、中小でもいい会社はたくさんありそうです。
そのなかで、ノウハウや仕事の一連の流れを体得し、着実に自分の能力を積み上げていきたいと思います。
この先の人生何度か転職があると思いますが、自分の地道な努力で能力を積み上げ、どんな社会情勢にも対応できるような自分を頼れる人間になることを目指します。
いろいろなことを考えながら、それでも会社のなかでしか働くしか選択肢がないというこの状況に少し腑に落ちないところもありますが、為政者を信じ、時には意見もいいながら、自分の役目を精一杯頑張りたいと思いました。
そんなこんなでまた (^^)
夢を追うことの矛盾
夢を追うことって必ずしも正しくはないですよね。
よく言われることですけど、歌手を目指してもみんながなれるわけじゃない。
この世には”倍率”というものが存在するから、3倍であれば3人に1人。10倍であれば10人に1人。選ばれるのはその人だけ。
みんなが夢を持ってるんなら、3人に2人は夢がかなわないし、10人に9人は夢を諦めなくちゃならない。
現実はもっと倍率が高くて、それだけの人たちが夢を叶えられない。
だからありのままでいいんだと思いますよ。アナ雪じゃないけど 笑
夢を見るのは簡単じゃないし叶えるのはよっぽど難しい。
でもだからこそ夢を追うのは価値のあることなんだと思います。
大切なのは覚悟です。
”「自由と責任はセット」の本当の意味は、「自由な生き方を選んだら、引き返さない責任があるよ。その覚悟できてんの?」だと思う。”
宇多田ヒカルも自身の著作である”点”という本の中でこう言っています。
あ、宇多田ヒカル大ファンです 笑
だってそりゃあそうですよね。
農家さんがいなかったら米は食えないし、大工さんがいなかったら家は立たないし、配達してくれる人がいなかったらいくらアマゾンで購入してもなにも届かないし。
そういう人たちがいて初めて今の暮らしができているんですもんね。
みんなが歌手を目指しちゃったら誰も米食えないし家立たないしアマゾンで購入できない。
だからどんな仕事も誇りを持っていいんだなと、ふと思いました。
夢を追わない、持っていないことが妥協だというのは嘘だと思う。
だって夢があるのが大前提の発言じゃないすか。それ。
僕は夢がありません。でも何も恥ずかしくありません。
強いて言うなら、家から出て、職について、働いて、家事をして、完全に自立することが今の僕の夢です。
というか、それができたら今よりもっと幸せだと確信しています 笑
そんなこんなで、前向きになりつつある就活(準備)生でした 。
See you next time (^^)
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