宇多田ヒカルと紀里谷和明から見る”日本社会”
このどれかを見てもらえれば、良くも悪くも非常に過激なことをいう人だという印象をまず受けるでしょうね。多分。
実家はパチンコ屋の経営者で金持ちなんだから、どうせ金に物言わせてやりたい放題してんだろ。ああ、拝金主義ばんざい !!!!
と思ったそこのあなた。僕はそんな風に考えていませんが、万に一つもその可能性がないとは言い切れません。
宇多田ヒカルだって母親は藤圭子(演歌歌手)だし、世の中遺伝やら世襲やらで腐りきってんだよ!とグレたくもなります。
でも僕は、一般庶民の僕らが自分の可能性に希望を持ってもいい社会になっていくことを願ってやみません。
まぁとにかくちょっと聞いてよ←
紀里谷氏は映画界でそれまでの慣習を完全スルーしたため業界人にめっちゃ嫌われました。それでも作りたい作品を映画にして作ったらハリウッドに評価されました。(本人処女作の『CASSHERN』という映画の時の話です。)
しかし次作では、日本映画界にもちゃんと評価してもらいたくなり、映画界の慣習を守った映画作りをした結果、興行収入的には成功したと言われるものの、処女作ほどの高評価は海外から得られなかったというのです。(第2作目、『GOEMON』での出来事。)
[http://www.flickr.com/photos/26226522@N08/3200841811:title=photo by [puamelia]]
そこで、日本映画界に評価されることの価値をあまり感じなくなったという主旨の内容を本人が言っています。
と、『しくじり先生』というTV番組に本人が出演した際に彼が言っていたことを自分なりに要約してみました。
で、ざっくり言うと、
宇多田ヒカルも紀里谷和明も、仕事において、日本のよくわからない慣習に戸惑っていたんじゃないかな。
これは2人のような非常にクリエイティブな仕事をし、かつ素晴らしい功績を上げられた人たちに顕著に現れる現象だと思う。
だがしかし
職種・業績を問わず、現代社会を生きる私たちにも多少なりとも、確実に影響を与えてるんじゃないかな
図らずも、社会に警鐘を鳴らす系記事になっちゃった、、、 (^ω^)
ではでは